インド の 世界 遺産

インド の 世界 遺産 は、ユネスコの世界遺産に登録されている。インドの世界遺産には歴史的建造物が多くあります。インドの世界遺産は文化遺産が34件、自然遺産が7件、複合遺産は1件で、合計42件あります。インド国内文化遺産・自然遺産・複合遺産の一覧。

インド国内文化遺産

インドの世界遺産40数

アジャンター石窟群

インドのマハーラーシュトラ州北部、ワゴーラー川湾曲部を囲む断崖を550mにわたって断続的にくりぬいて築かれた大小30の石窟で構成される古代の仏教石窟寺院群はアジャンター石窟群です。1819年、ハイダラーバード藩王に招かれて狩猟に参加していたイギリス人士官ジョン・スミスが虎狩りをしていたときに、虎に襲われてワゴーラー渓谷に逃げ込みました。際、断崖に細かな装飾が施された馬蹄形の窓のようなものを見つけたことが発見の契機となった。アジャンターの石窟寺院群の石窟は、ヴィハーラ窟とチャイティヤ窟の2つがあります。ヴィハーラ窟は僧院チャイティヤ窟は仏塔のこと。アジャンターの石窟寺院群の石窟は、チャイティヤ窟は5つで残りはすべてヴィハーラ窟である。
1983年ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されました。

インドの世界遺産40数

エローラ石窟群

インドのマハーラーシュトラ州、アウランガーバード市から30Kmぐらい離れた村に世界的に有名なエローラ石窟寺院群がある。エローラ石窟寺院群は典型的な遺跡として知られている。 複合遺産 34の石窟が、シャラナドリ台地の垂直な崖に掘られており、5世紀から10世紀の間に造られた仏教寺院(仏教窟)の数は12窟、ヒンドゥー教寺院は第13窟から第29窟までの17窟、ジャイナ教の石窟寺院や修道院は5窟構成されている。エローラ石窟の真ん中にあるヒンドゥー教の第16窟、有名なカイラサナータ寺院です。寺院の高さは33mもあります。
1983年ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されました。

インドの世界遺産40数

アーグラ城塞

アーグラ城塞は、インドのアーグラ市にあるムガル帝国時代の城塞。赤砂岩で築かれた城壁の赤色から「赤い城ーラール・キラー」の名がある。城内の宮殿には白大理石も多用されている。公謁殿やモスク、皇帝の寝殿、ハーレムなど、すべてが総大理石で造られた優雅な姿をしています。皇帝アクバルが1565年に着工して1573年に完成した。その後ジャハーンギール、シャー・ジャハーンまで3代の居城となった。アウラングゼーブが兄弟間の後継者争いに勝つと、父であるシャー・ジャハーンをタージ・マハルの見える城塞内のに幽閉してデリーに移った。
1983年ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されました。

インドの世界遺産40数

タージ・マハル

タージ・マハルは、インド北部、デリーから200キロ離れているアーグラ市にある。1631年にムガル帝国第5代皇帝シャー・ジャハーンが死去した愛妃ムムターズ・マハルのために建設した総大理石の墓廟。 タージ・マハルはイスラーム文化の代表的建築である。シャー・ジャハーンはヤムナー川の対岸に自分のお墓黒のタージマハルを建てようと計画していました が、息子のアウラングゼーブがシャー・ジャハーンをアーグラ城の一室に幽閉されてしまったので黒のタジーマハルの実現しませんでした。
1983年ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されました。

インドの世界遺産40数

コナーラクのスーリヤ寺院

コナーラクのスーリヤ寺院とは、インド・オリッサ州コナーラク市にあります。ヒンドゥーの太陽神スーリヤを祀る寺院である。13世紀にナラシンハ・デーヴァ1世によって20年の歳月をかけて造られました。その境内の中央部には、寺院が建立されると同時に、周囲には多くの祠堂や彫刻が建設された。寺院の壁面を彩るヒンドゥー彫刻は有名である。7頭の馬に曳かれる馬車に乗っていたという太陽神スーリヤの話がインドの古代文学である『ヴェーダ』にあるが、スーリヤ寺院にはそれをモチーフにした馬車が彫刻として残っている。
1984年ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されました。

インドの世界遺産40数

マハーバリプラム

マハーバリプラム(古名はマーマッラプラム)は、インド南部のタミル・ナードゥ州カーンチプラム県に所在し、ベンガル湾に臨むかつての港湾都市。チェンナイ(マドラス)の南約60キロメートルに位置する。 4世紀から9世紀にかけて、内陸のカーンチプラムにはパッラヴァ朝の首都がおかれていた。町には数多くのヒンドゥー教寺院が建立された。かつて貿易港として繁栄した海岸沿いの花崗岩台地には10を超える石窟寺院が残っている。いずれも小規模であるが、ヴァラーハ・マンダパ窟、マヒシャマルディニー・マンダパ窟、トルムールティ窟、アーディ・ヴァラーハ窟は、建築、彫刻ともきわめて優れているとされる。なお、石窟寺院建築には未完成の状態で建造を中止したものがいくつか散見される。7世紀末葉から8世紀初頭にかけて海辺に建てられた「海岸寺院」は切石を積んで建立した石造寺院で、中期ラージャシンハ・ナンディヴァルマン様式に属するとされる。
1985年ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されました。

インドの世界遺産40数

ゴアの教会群と修道院群

ゴア州は、インド西海岸の州である。16世紀から20世紀半ばまでポルトガル領インドの一部であり、ポルトガルのアジアにおける拠点であった。ゴアは11世紀初めから貿易港として発展し、14世紀からはイスラム系王朝の下で馬や香料の貿易で繁栄した。1534年にはローマ教会の大司教座が設置され、ローマ教会において全アジアを管轄する中心となり、これを機にサンタ・カタリナ大聖堂が建設された(1562年~1619年)。17世紀初頭のゴアはモザンビークから長崎に広がるポルトガル海上帝国の首府として「東洋のローマ」と呼ばれる黄金時代を迎えた。当時のゴアの人口は20万人に達し、市内には壮麗な教会や修道院、総督府などの建物が立ち並んで、ヨーロッパの都市にも引けを取らなかったとされる。その一方で、ゴアに住むインド人はキリスト教への改宗を強制させられ、また異端審問所も設置された。ボム・ジェム聖堂のほか、金箔で覆われた木彫り彫刻があるアッシジ聖フランシス修道院教会、最も規模の大きい セ・カテドラル等様々なキリスト教の宗教建設があり
1986年ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されました。

インドの世界遺産40数

カジュラーホーの建造物群

カジュラーホーは、インドのマディヤ・プラデーシュ州の小都市。首都デリーから南東に620kmの位置にある人口約5000人弱の小さな村である。カジュラーホーは、芸術的価値の高い彫刻を伴うヒンドゥー教及びジャイナ教の寺院群です。10世紀初頭から12世紀末ごろのチャンデーラ朝時代に、カジュラーホーでは、85か所に及ぶ寺院が建設されたと考えられている。現存しているのは25か所で、三つの寺院群にわけられています。南グループに2か所のヒンドゥー教寺院で構成される、東グループにジャイナ教寺院が主体の構成され、西グループはもっともよく建造物が残存している。ヒンドゥー教寺院は、ヴィシュヌ派の寺院が主体となっている。ヒンドゥー教かジャイナ教かによって建築や彫刻に極端な差はほとんどみられません。ミトゥナ像(男女交合のエロティックな彫刻)を含む官能的なレリーフ群も共通して見られ、いずれも豊穣祈願が込められていると考えられている。
1986年ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されました。

ハンピの建造物群

ハンピはインド南部カルナータカ州の村です。古名はヴィジャヤナガル。かつてのヴィジャヤナガル王国の首都であった。ハンピは、14世紀から17世紀中頃に実在したヴィジャヤナガル王国の王都であった。ヴィジャヤナガル朝は、カルナータカ州南部およびアーンドラ・プラデーシュ州南部に至る南インドを支配したヒンドゥー王朝。数多くの宮殿やヒンドゥー教寺院が造営されました。
ハンピに残存する都市の遺構は、1986年、ハンピの建造物群の名称で国際連合教育科学文化機関(ユネスコ)世界遺産の文化遺産に登録された。

ファテープル・シークリー

ファテープル・シークリーは、インドのウッタル・プラデーシュ州アーグラより約40km西に位置する、ムガル帝国第3代皇帝アクバルによって建設された都市。皇帝アクバルは唯一の悩みは世継ぎに恵まれなかったことです。この地(シークリー村)に住むイスラム教の聖者を訪ねて相談したところ「王子の誕生」を予言されました。そのおかげで王子サリーム(のちのジャハーンギール)が誕生しました。記念としてここに新たな都を造り、ファテープル・シークリー(勝利の都)と名づけたのです。アーグラから遷都しましたが慢性的な水不足と猛暑のため、わずか14年間(1574年~1588年)しか使用されず廃墟となりました。
1986年ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されました。

パッタダカルの建造物群

パッタダカルはインドのカルナータカ州北部に立地する村です。6世紀から8世紀にかけて建てられたヒンドゥー教寺院があります。現在、9寺院が残っており、すべて宇宙の破壊と創造を司るシヴァ神を祀ったものである ピラミッド形をした南部の様式と砲弾形をした北部の様式が混在したヒンデュ教寺院は
1987年ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されました。

エレファンタ石窟群

エレファンタ石窟群、ムンバイ近海のアラビア海にエレファンタ島にある石窟寺院です。6~8世紀グプタ朝時代に建設が始まったとされる。7つのヒンドゥー教の石窟寺院があり、全てシヴァ神に祀っています。
1987年ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されました。

大チョーラ朝寺院群

南インドのタミルナードゥ州中南部にある大チョーラ朝寺院群は、チョーラ朝時代に建設された11,12世紀の3つのヒンドゥー寺院のことです。大チョーラ朝寺院はラージャ・ラージャー1世がタンジャヴールに建てたブリハディーシュワラ寺院が1987年に最初にユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されました。1987年に、国際連合教育科学文化機関の世界遺産に登録された。
2004年にガンガイコンダチョッリスヴァラムのブリハディーシュワラ寺院とダーラーシュラムのアイラーヴァテーシュヴァラ寺院が世界遺産(文化遺産)に追加登録されました。

サーンチーの仏教建造物群

サーンチーはインドの中部にあるマディヤ・プラデーシュ州、ボーパール市から48キロ離れている村である。インド最古の仏教遺跡です。紀元前3世紀にアショーカ王は8万4千もの釈迦の遺骨(仏舎利)を安置する卒塔婆(ストゥーパ)を建立した。そのうちの8つがサーンチーに建てられた。現在、3つが残っている。
1989年ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されました。

フマーユーン廟

フマーユーン廟は、インド共和国の首都デリーにある、ムガル帝国の第2代皇帝フマーユーンの墓廟。インドにおけるイスラーム建築の精華のひとつと評され、その建築スタイルはタージ・マハルにも影響を与えたといわれる。1565年にムガル帝国の第2代皇帝フマーユーン死後、ペルシア出身の王妃で信仰厚いムスリマであったハミーダ・バーヌー・ベーグムは、亡き夫のためにデリーのヤムナー川のほとりに壮麗な墓廟を建設することを命令した。霊廟周囲の庭園は、ペルシア的なチャハルバーグ(四分庭園)となっており、四分庭園とは、四面同等の意匠をもち、4つの区画に分けられた正方形の庭園であり、庭園には水路や園路が格子状に走向して中形ないし小形の正方形をつくり、それぞれの交点には小空間や露壇、池泉などが設けられている。
1993年ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されました。

クトゥブ・ミナールとその建造物群

クトゥブ・ミナールは、インドのデリーにある世界最高のミナレット。1200年ごろに奴隷王朝の建国者であるクトゥブッディーン・アイバクによって、クワットゥル・イスラーム・モスクに付属して建てられた。ヒンドゥー様式とイスラーム様式が混在した様式となっている。おそらくヒンドゥー教・ジャイナ教の寺院などを破壊し、その石材を転用して制作されたものであり、建築に携わった職人もヒンドゥー教徒であったと推測されている。高さが72.5mあり、世界で最も高いミナレットである。これでも地震や落雷などで先端が崩れた後に修復してあり、当初は100mほどの高さがあったという。直径は、基底部14.3mに対して先端部2.75mであり、文字どおりの尖塔である。
1993年ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されました。

インドの山岳鉄道群

インドの山岳鉄道群とはユネスコの世界遺産登録物件のひとつである。インドの山岳部を走る鉄道を対象とするものであるが、1999年に「ダージリン・ヒマラヤ鉄道」の名で登録された段階ではその名の通りダージリン・ヒマラヤ鉄道のみが対象とされていた。2005年にニルギリ山岳鉄道が登録対象に加えられた際に、現在の名称に変更された。その後、2008年にはカールカー=シムラー鉄道が拡大登録された。 現在、インドの山岳鉄道群に以下のインドの鉄道が登録されています。
①ダージリン・ヒマラヤ鉄道- 1999年登録 ②ニルギリ山岳鉄道-2005年に登録 ③カールカーシムラー鉄道-2008年に登録

ブッダガヤの大菩提寺

ブッダガヤの大菩提寺はインド、ブッダガヤにある寺院。釈迦牟尼が悟りを開いた場所に建てられたお寺です。古い煉瓦構造建築様式の1つである、52メートルの高さをもつ。紀元前3世紀のマウリヤ朝アショーカ王がこの場所に小さな舎を建てたことが始まりと言われています。その後増築されて、7世紀に大寺院の姿となりました。
2002年ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されました。

ビームベートカーの岩陰遺跡

ビームベートカーの岩陰遺跡は、インド中部マディヤ・プラデーシュ州に残る旧石器時代の岩陰遺跡です。インド亜大陸における人類の最初期の痕跡から、インドの石器時代初期までの様子を伝えている。何千という岩絵が5か所の岩山にある約400の岩陰や岩窟に残されています。石器時代以降に造られた岩窟住居群が約1万年以上前のものです。
2003年ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されました。

チャトラパティ・シヴァージー・ターミナス駅

チャトラパティ・シヴァージー・ターミナス駅はインド・ムンバイにある鉄道の駅です。駅は1887年から1888年に建築家のフレデリック・ウィリアム・スティーヴンスによって設計された。建造には10年かかり建造された駅舎はヴェネツィア・ゴシック建築様式で、壮麗で豪奢な建築物である。駅舎の特徴として、ヴィクトリア朝のゴシック・リヴァイヴァル建築とインドの伝統的建築の融合が見られる。1888年にヴィクトリア女王の治世にちなみ「ヴィクトリア駅 と名付けられた。2008年に「チャトラパティ・シヴァージー・ターミナス と改名されました。
2004年ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されました。

チャーンパーネール・パーヴァーガド遺跡公園

チャンパーネール・パーヴァーガド遺跡公園(チャンパーネール・パーヴァーガドいせきこうえん)は、銅器時代からヒンドゥー王朝の要塞、イスラーム王朝である16世紀のグジャラート・スルターン朝の首都にいたる長きに渡る土地利用を示す遺跡群を含むインドの世界遺産である。インド西部のグジャラート州に位置するチャンパーネール・パーヴァーガト遺跡公園には、銅器時代の遺跡に始まり8-14世紀の要塞、宮殿、宗教建築物、居住区域、農地、取水設備などが点在する。公園内のパーヴァーガド丘の頂上に位置するカーリーカマタ寺院は重要な聖地とみなされており、いまも多くの巡礼者を惹きつけている。遺産はムガル帝国支配以前の都市として、唯一完全な姿を保つことで知られている。
チャンパネール=パーヴァガドゥ遺跡公園は2004年ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されました。

赤い城の建造物群

赤い城またはレッド・フォートは、インドのデリーにあるムガル帝国時代の城塞。ムガル帝国第5代皇帝シャー・ジャハーンが、アーグラから遷都し、自らの名を冠した新都シャージャハーナーバードにおける居城として築いた。1639年から9年をかけて1648年に完成。名称の由来ともなった城壁の赤い色は、建材として用いられた赤砂岩のものである。1857年のインド大反乱のとき、イギリスは軍の駐屯地として接収した。兵舎が建設されるなど、城内は大きく造り替えられた。インドの独立後も、近年まで軍の施設として使用されていた。毎年8月15日のインド独立記念日には、ここで首相演説が行われる。
2007年ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されました。

ジャイプルのジャンタル・マンタル

ジャンタル・マンタル はインド・ムガル帝国時代の18世紀前半にジャイプル藩王国のジャイ・シング2世がインド北部の5か所に建設した大型の日時計および天体観測施設である。その内、ジャイプルにあるジャンタル・マンタルが一番大型で、世界遺産になっている。ジャイプル以外にデリー、ベナレス、マトゥラ、ウッジャインにも建設した。18世紀前半にジャイプル藩王国の君主であるジャイ・シング2世はすぐれた政治家だっただけでなく、科学者、改革者でもあった。彼は1727年に王国の首都をアンベールからジャイプルへ遷都して、そこに巨大な日時計を含む天体観測施設を建設した。名称の由来は、ジャンタルがサンスクリット語のヤントラで機器、機械の意味で、マンタルが同じくマントラナで「参考にする、計測する」、ジャンタル・マンタルで「計測する機器」の意味である。
2010年ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されました。

ラージャスターンの丘陵城塞群

ラージャスターンの丘陵城塞群は、インドのラージャスターン州に残る6つの城塞を対象とする、UNESCOの世界遺産リスト登録物件である。8世紀から18世紀までのラージプート諸王国の繁栄を伝える建物であり、その建築と文化的伝統上の意義が評価されて登録された。それぞれの時代や地勢を代表する以下の6件が登録されている。 チットールガル城 クンバルガル城 ランタンボール城 ガグロン城 アンベール城 ジャイサルメール城
2013年ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されました。

ラーニー・キ・ヴァーヴ (王妃の階段井戸)

ラーニー・キ・ヴァーヴ は、インド西部、グジャラート州のパータンに残る階段井戸である。 ラーニー はインドの女王を意味しヴァーヴ は階段井戸をさす名称あって、意味を訳して王妃の階段井戸と表記されることです。王妃ウダヤマティ (Udayamati) が11世紀中に建造したものである。パータンは当時の王都だった。この階段井戸の規模は奥行き約65 m、幅約 20 m、深さ約 27 mで、7層構造になっている。
2014年ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されました。

ナーランダー・マハーヴィハーラ (ナーランダ大学)の考古遺跡

ナーランダ大学は、インドビハール州、ナーランダ中部にある427年に建てられた世界最古の大学の1つ。北部インド仏教の最重要拠点であり、「ナランダ」は ” 蓮のある場所 ” という意味。蓮は知恵の象徴であるため、“知恵を与える場所、知恵を授ける場所”と解釈される。仏教を学ぶ重要な場所となり、10,000人までの人が滞在し。最古で、それまでの歴史で最大の居住型の学校、最多で1万人の生徒と、1,500人の教員がいた。高い塀と、1つの門、図書館は9階建ての建物にあり、多様な分野の教科が行われていた。
2016年ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されました。

コルビュジエの建築作品 近代建築運動への顕著な貢献

ル・コルビュジエの建築作品は、20世紀の近代建築運動に多大な影響を及ぼした一人であるル・コルビュジエの作品群、ことにその中でも傑作とされる住宅、工場、宗教建築などをまとめて世界遺産リストに登録した物件である。世界各地に残るル・コルビュジエの建築作品のうち、フランスを中心とする7か国に残る建築群が対象となっており、大陸を跨ぐ初の世界遺産登録となった。チャンディガールはインドのパンジャブ州の都市です。ル・コルビュジエはインド高官の依頼で都市全体の計画を策定した。ル・コルビュジエは、格子状の規則正しい区画に商業地区、行政地区などを配置し、前者ではドミノ様式の建物を並べ、後者では傑作として評価される建物、特にアーチ状の空隙を持つ屋根とブリーズ・ソレイユが特徴的な高等裁判所、独特の形状の庇を持つ議事堂などを建設した。2016年ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されて対象はチャンディガール市全体ではなく、その行政地区の中心部、高等裁判所、議事堂、合同庁舎の建物である。ル・コルビュジエの建築作品 キャピトル・コンプレックス
2016年ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されました。

アフマダーバードの歴史都市

アフマダーバードはインド西部、グジャラート州の主要都市。都市の名称は、「アフマドの都市を意味する。15世紀以降イスラム教・ジャイナ教・ヒンドゥー教などの多くの宗教や多様な民族が共存する古都
2017年ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されました。

ムンバイのヴィクトリアン・ゴシック と アール・デコの遺産群

19~20世紀にインド西部、港湾都市ムンバイは都市計画事業の一環として、ヴィクトリアン・ゴシックとアール・デコの建物を建造していきます。イギリス植民地時代に建造されたヴィクトリア朝やアール・デコの様式の建造物群が残っています。インドの要素も取り入れたこれらのデザインは、インド・デコと呼ばれる独自の建築様式を生み出しました。19世紀のビクトリア朝のゴシック様式の建物は、主にボンベイ高等法院、ムンバイ大学(フォートキャンパス)、市民会議場裁判所です。この一帯には、ムンバイのランドマークの1つであるラジャバイ時計塔もあります。 20世紀のアールデコ様式の建物はオーバルの西側にあり、主に個人所有の住宅とエロスシネマで構成されています。
2018年ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されました。

ラジャスタン州のジャイプル市街

ラージャスターン州の州都ジャイプルはピンクシティの別名を持つ。ここはヒンドゥー教、イスラム教、西洋の思想が投影されており、南アジアの都市計画と建築において模範的に発展しました。1727年、当時この地を治めていたラージプートの有力氏族、カチワーハー家の当主サワーイー・ジャイ・シング2世によって建設が開始される。それ以前は北東に約11km離れた岩山に位置するアンベール城がある地域が王国の首都であったが、人口増加や水不足の理由から遷都の必要に迫られ、現在の町の位置に新たな計画都市として建設された。 町の名前ジャイプルは「ジャイの町」を意味し、「ジャイ」は創設者ジャイ・シング2世からつけられている。ジャイプルの「プル」は「城壁に囲まれた町」という意味合いがある。建設当時の町は、高さ6m、総延長10kmに及ぶ城壁で囲まれており、城壁には7つの主要な門が設けられていた。1876年にはヴィクトリア女王と息子のアルバート王子がこの地を訪れ藩王一家の歓待を受けた。この時に市街の建物をピンク色に塗ったのをきっかけとして、伝統的に建物にピンク色の塗装が施されるようになり、現在でも「ピンク・シティー」と呼ばれる景観を作っている。2019年にラージャスターン州のジャイプル市街が世界文化遺産として登録されました。
2019年にラージャスターン州のジャイプル市街が世界文化遺産として登録されました。

ハラッパー文化の都市: ドーラビーラ

ドーラビーラは、インド、グジャラート州に所在するインダス文明の大都市遺跡のひとつであり カッチ湿原のなかにあるカディール島に立地しています。ドーラビーラは、、ハラッパーやモヘンジョ・ダロと同様の注目度がある。ドーラビーラの居住がはじまったのは、紀元前2900年頃からで、紀元前2100年ごろから徐々に衰退に向かっていく。 ドーラビーラの建造物は、この「街」の周辺で採掘される石灰岩を直方体の石を積み上げて立てられている。遺物は、インダス式印章やハラッパー式の土器はもちろん、動物骨、粗製の赤色土器や二彩土器などの在地系の土器が出土する一方、紅玉髄製などのビーズ、金製品や銀製品、テラコッタやメソポタミアとのつながりをうかがわせる土器などをはじめとする膨大な量の出土をみた。
2021年に世界文化遺産として登録されました。

カーカティーヤ・ルドレシュワラ(ラマッパ)寺院

インドのテランガーナ州にあるラマッパテンプルは、ルドレシュワラ寺院としても知られています。 寺院の碑文には、カーカティーヤ朝の統治者であるガナパティデーヴァ1199–1262の将軍であるレチャルラルドラによって西暦1213年に建設が開始されたことが記されています。 ラマッパ寺院は、1212年から1234年の間に建設され、ランマパによって設計および建築されました。その後、寺院のの名前がラマッパ寺院に付けられました。
2021年にラージャスターン州のジャイプル市街が世界文化遺産として登録されました。

サンティニケタン、ユネスコの世界遺産

サンティニケタン

1901 年に著名な詩人で哲学者のラビンドラナート タゴールによって西ベンガル州の田舎に設立されたサンティニケタンは、古代インドの伝統と、宗教や文化の境界を超えた人類の統一のビジョンに基づいた全寮制の学校および芸術の中心地でした。 1921 年にサンティニケタンに「世界大学」が設立され、人類の統一、つまり「ヴィシュヴァ バーラティ」が認められました。 20 世紀初頭の一般的な英国植民地時代の建築の方向性やヨーロッパのモダニズムとは異なり、サンティニケタンは、この地域全体の古代、中世、民俗の伝統を取り入れ、汎アジアのモダニティへのアプローチを表しています。
2023年にサンティニケタンは、ユネスコの世界遺産リストに登録されています

ホイサラ様式寺院

ホイサラ様式寺院

この一連の物件には、12世紀から13世紀にかけて建設された、南インドのホイサラ様式の寺院群の最も代表的な3つの例が含まれています。ホイサラ様式は、その独自のアイデンティティを形成するために、他の近隣の王国の寺院建築とは異なる要素を選んで組み合わせたものであり、その特徴的な要素がこれらの寺院に見られます。 ホイサラ様式寺院の特徴は以下の通りです: 超現実的な彫刻と石の彫刻: ホイサラ様式の寺院は、その建築表面全体に超現実的な彫刻や石の彫刻が施されています。これらの彫刻は神話や宗教的な物語を描いており、非常に詳細かつ精巧なもので知られています。 周回プラットフォーム: 寺院の周囲には一般的にプラットフォームが設けられており、これによって寺院が高くそびえ立つようになっています。このプラットフォームは儀式や祭りの際に信者たちが集まる場所としても機能します。 大規模な彫刻ギャラリー: 寺院の内部や外部には大規模な彫刻ギャラリーがあり、これらのギャラリーには神話や宗教的なテーマに基づいた彫刻が展示されています。これらの彫刻は芸術的な優れた作品として高く評価されています。 サラ伝説の彫刻: ホイサラ様式の寺院には、サラ伝説に関連する彫刻も多く見られます。サラ伝説はヒンドゥー教の神話の一部であり、寺院の装飾において重要な役割を果たしています。 これらの寺院は彫刻芸術の卓越性を示し、ヒンドゥー教寺院建築の歴史的な発展における重要な段階を代表しています。
2023年にホイサラ様式寺院は、ユネスコの世界遺産リストに登録されています

自然遺産・複合遺産

カジランガ国立公園

カジランガ国立公園は、インド・アッサム州にある国立公園。世界遺産(自然遺産)に指定されている。他のインドの国立公園と比較して、カジランガ国立公園は、野生生物の保護に成功している国立公園であるということが出来る。保護されている地区の中では、最もトラの居住密度が高い。カジランガ国立公園は、インド・アッサム州にある国立公園。世界遺産(自然遺産)に指定されている。他のインドの国立公園と比較して、カジランガ国立公園は、野生生物の保護に成功している国立公園であるということが出来る。保護されている地区の中では、最もトラの居住密度が高い。ベンガルトラやサイやなど約15種類の絶滅危惧種が多く生育している。
1985年ユネスコの世界遺産(自然遺産)に登録されました。

マナス国立公園

マナス公園の名前の由来はマナス川に由来しており、マナス川はブラマプトラ川の支流のひとつである。マナス川の名前自体は蛇の神マナサーにちなんでいる。 ブータンと国境を接するアッサム州北西部にある国立公園です。トラや象の保護区である。
1985年ユネスコの世界遺産(自然遺産)に登録されました。

ケーオラーデーオ国立公園

ケオラデオ国立公園はインド・ラージャスターン州にある国立公園です。バラトプル鳥類保護区としてよく知られています。 ケオラデオ国立公園 には230種以上の鳥類が生息しておる。公園内では希少なソデグロヅルのうち少数の個体群が越冬する。ソデクロ鶴のような絶滅危惧種や希少種が越冬地として過ごしています。他の種としてはアカツクシガモ、カモメ、ハシビロガモ、オナガガモ、オオバン、シマアジ、キンクロハジロ、ホシハジロが挙げられる。
1985年ユネスコの世界遺産(自然遺産)に登録されました。

スンダルバンス国立公園

スンダルバンス国立公園は、インド共和国・西ベンガル州の州都コルカタからは南東約60キロメートルに位置している。世界最大規模を有するデルタ地帯の一画を占め、数多くの希少種や絶滅危惧種が生息している。ヒマラヤ山脈より流下するガンジス川とブラマプトラ川は、数百万年前から山地より大量の土砂を運んで下流に巨大な堆積平野を形成してきた。デルタ地帯は表面積8万平方キロメートルにおよんでおり、川は天然の水路となって網目状に入り組んでいる。広大なマングローブとしても有名で、マングローブの密生する湿地帯には300種を超える植物が生育し、数多くの水生・陸生動物のすみかとなっている。海域とデルタ地帯を移動する水生の哺乳類には、ガンジスカワイルカやカワゴンドウ(イラワジイルカ)、スナメリ、シナウスイロイルカ、ハシナガイルカ、ミナミハンドウイルカ、ニタリクジラなどの希少鯨類がいる。熱帯雨林にはマングースやシカ、アカゲザルなどサル類、ベンガルヤマネコ、ヒョウ、スナドリネコ、ジャングルキャットなど陸生の哺乳類が生息している。
1987年ユネスコの世界遺産(自然遺産)に登録されました。

ナンダ・デヴィ国立公園と花の谷国立公園

ナンダ・デヴィ国立公園と花の谷国立公園は、インド北部、ウッタラーカンド州のチャモリ市にあります。国立公園もユネスコの世界遺産に登録されています。1988年にインド第2の高峰ナンダ・デヴィを含むナンダ・デヴィ国立が自然の美しさと生物多様性について評価されて登録されました。 また2005年に花の谷国立公園へと範囲が拡張された。インド第2の高峰ナンダ・デヴィの標高 7,817 mです。ナンダ・デヴィはサンスクリット語で「祝福された女神」の意味で、ヒンドゥー教の聖なる山として崇拝の対象ともなってきた。山は神の女神であると信じられており、 ナンダ・デヴィ 山に関連するお祭りがあります。国立公園は標高3,350 mから6,708 mの地形で形成されており、「花の谷」は1931年に発見された渓谷につけられた通称である。この名前は、発見者の登山家であるフランク・スマイスが著書で用いたことで、広く知られるようになった。

西ガーツ山脈

西ガーツ山脈は、インド亜大陸の西海岸沿いにあり、標高1,000〜2,690mの山々が全長1,600kmにも渡って連なる山脈である。ヒマラヤ山脈よりも古く、インド全域の気候に大きな影響を与えており、多くの川の水源となっている。数々の国立公園、自然保護区域などがあり、世界で最も多様な生物が見られる8つの「ホットスポット」の一つである。
2012年、UNESCOの世界遺産に登録された。

大ヒマラヤ国立公園保護地域

大ヒマラヤ国立公園はインドのヒマーチャル・プラデーシュ州クッルー県にある国立公園。南北に延びるクッルー渓谷の東側に位置し、ヒマラヤ山脈西部の標高6000mの高山から2000m以下の谷間に広がり、高山帯、雪解け水の流れる4本の渓谷、森林などによって構成される。面積は核心部が905 km2、バッファーゾーンが266 km2、合計1,171 km2。インドの国立公園として1984年に設立された。
2014年にユネスコの世界遺産に登録された。

カンチェンゾンガ国立公園

カンチェンゾンガ国立公園 は、インドのシッキム州にある国立公園であり,世界3位の高峰のインド領内の一帯を対象としている。カンチェンジュンガ生物圏保護区として生物圏保護区にもなっている。この公園はヤルン、タルン、カンチェンジュンガ、ゼムなど多くの氷河を擁しており、 麝香鹿 、ユキヒョウ、ウンピョウ、ヒマラヤタールなどが棲息している。 カンチェンゾンガ国立公園の標高は1,829メートル から8,550メートル 以上になり、その標高はインドの国立公園群の中でも高い部類に属する。
2017年7月17日にユネスコの世界遺産リストに登録され、インドの世界遺産では初の複合遺産となった。

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