1600年錆びない奇跡!インドでの鉄柱の歴史と謎
1600年錆びない奇跡 ― デリー・クトゥブミナールの鉄柱に刻まれた時の物語
デリーの南、世界遺産クトゥブ・ミナールの門をくぐると、まず目に入るのは赤砂岩の壮大な塔。しかし、塔の足元から少し離れた場所に、ひっそりと立つ一本の鉄柱があります。高さ7メートルあまり、黒褐色に光るその姿は、まるで時間の流れを拒むかのようにそこに立ち続けています。
ただの鉄柱ではない存在感
近づいてみると、表面には時代を感じさせる模様や刻印が見えます。
観光客の多くは塔を背景に記念写真を撮りますが、歴史好きはこの鉄柱の前で足を止め、長い間見つめてしまうのです。
なぜなら、この柱は1600年以上もの間、錆びることなく立ち続けてきたからです。
古代の技術が生んだ奇跡
この鉄柱が作られたのは5世紀頃、グプタ朝の時代とされています。
現代のような精密な冶金設備もない時代に、なぜこんなにも純度が高く、腐食に強い鉄を作れたのか。
学者たちはその理由を、古代インドの製鉄法と長年の自然反応による保護膜に求めていますが、
「完全な答え」はいまだに出ていません。
歴史の中で多くの戦火や自然環境にさらされながら、ほとんど傷まないその姿は、まるで古代の職人から現代へのメッセージのようです。
伝説と人々の信仰
この鉄柱には、ちょっとした伝説があります。
かつては「柱を背にして両腕を回し、手が届けば幸運が訪れる」と信じられていました。
今、デリーのクトゥブ・ミナールの敷地に立っているこの鉄柱は、もともとこの場所にあったわけではありません。
時をさかのぼることおよそ1600年、西暦400年前後。古代インドの黄金期と呼ばれるグプタ朝の王、**チャンドラグプタ2世(別名ヴィクラマーディティヤ)**の時代に造られたと考えられています。
当時の目的は、戦勝や王の偉業をたたえる記念碑であり、ヒンドゥー教の神ヴィシュヌを祀る「ヴィシュヌ旗柱として建立されました。
柱の表面に刻まれたサンスクリット語の碑文には、王の名とその功績が記されており、この柱が単なる構造物ではなく、宗教的・政治的な意味をもつモニュメントだったことがわかります。
元々の場所
現在の場所ではなく、マディヤ・プラデーシュ州ウダヤギリの寺院前に立てられていたとされます。
この地はヴィシュヌ神信仰の聖地のひとつで、鉄柱はその象徴として参拝者を迎えていたのでしょう。
デリーへの旅
この鉄柱がデリーにやってきたのは、およそ11世紀頃。
デリーを支配していたトマル朝のアナンガパル王が、権威の象徴として都に移したという説があります。
また別の説では、13世紀初頭にデリーを征服した奴隷王朝のイルトゥトミシュが、戦利品として運び込んだとも言われています。
いずれにせよ、この柱は征服と移動を経験し、今のクトゥブ・ミナール複合の中心に近い場所に据えられました。
インドに他にもある鉄柱
デリーの鉄柱は最も有名ですが、実はインドには他にも古代の鉄柱が存在します。
例えば――
ドーラプルの鉄柱(Dhar, Madhya Pradesh)
マンダスールの鉄柱(Mandsaur, Madhya Pradesh)
コラルの鉄柱(Korraprolu, Andhra Pradesh)
これらも千年以上前の製作ですが、デリーのものほど保存状態が良く、長く錆びずに残っている例は少なく、「奇跡の鉄柱」として世界的に有名なのはやはりデリーです。
